忍者ブログ

歩いてきた道

2008 Herbst -

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

マチネの終わりに / 平野啓一郎

毎日新聞で連載されていたという,平野啓一郎『マチネの終わりに』を読んだ.

平野啓一郎の作品はそれ程多く読んでいる訳ではなく,『日蝕』で挫折して,『空白をうめなさい』は読了した,という程度か.
作家自体に興味がある,という状態ではまだないので,文体の変化の理由などはわからないが,取敢えず,読みやすい恋愛小説であることは確かである.

--- ネタバレを多少含みます ---


天才クラシックギタリスト蒔野38歳と,ジャーナリスト洋子40歳が出会う所から話は始まる.

作家本人が,家族を持ち40代を生きる上で,考えていることが反映されているのだろう.

「天才」の男性と「サラブレッド的血筋を持った」凛とした女性の恋物語,なんて,設定が濃く,途中で起きる事件も時に現実味が薄くて,メロドラマ風だったりはするのだけれど,そこに仮託されて描かれている心情は,そう突飛なものではない.そもそも歌舞伎にせよシェイクスピアにせよ,大衆に訴えかけるものには,日常とはかけ離れた設定の人物に自分たちの感情を載せる,という形式があるのだから,それはそれでありなんだろうとも思う.

この小説が,白石一文の小説よりも信頼できるのは,登場人物がはっきりと迷い,人生を俯瞰せず,その時点毎に悩んで選び取るという姿勢を持っているからだ.運命の人にはいつかきっと会える,という直観を信じて生きる,というようなことはしない.

そして,この小説の肝は,運命の人とは必ず結ばれる,というようなことではなくて,過去は未来から書き換えることができる,ということなのだと思う.きつい経験も,ある時,別の意味をあて,別の物語の一部になるかもしれない.そういう繊細さを見てみないふりをせずに,きちんと表現しきっている所がいい.

これは小説で,作家に,明るい話を書きたいという気持ちがあったから,最後に運命の二人は出会う所で終わる.しかし,その直前の最後のNYのコンサートの場面ですら,洋子は,蒔野が自力でスランプを克服しより広い世界に自分なしで到達したことを感じ,もう会うべきではないのだ,とはっきり悟っている.それは「おめでとう」という気持ちと同時に,寂しさがあった筈だ.自分は彼の人生に要らないのだな,と.そこで,蒔野が勇気を持って手を伸ばし,二人はもう一度会うことができるのだ.

その後,二人がどうするか,というのは,明らかではない.もうそれぞれに背負うものがあるのだ.蒔野は,家族を引き受けた上でスランプを脱出するが,その家族を捨てる決心ができるのか.洋子は,自分のさびしい生い立ちを持ってしても,他人の娘に同じ思いをさせることを選べるのか.
でも,これからがどうなるかわからなくても,この会合の一瞬は,二人の過去を書き換え,その後も多分心を温められる記憶となっていくのだろう.

或いは,それぞれが,それぞれの背景を全てひっくるめたまま,受け入れる,という形もあり得るのだろうか.
....それは少し愛というものについて楽観的過ぎるようにも思う.やはり自分こそがその人の一番近くにいたい,と思ってしまう要素は,抜きがたいように今は思われるから.


蒔野の妻となるマネージャーの三谷は,蒔野を手に入れたい余り,卑怯な真似をしてしまう.そのことについて非難する人がいるだろうし,自分はその行動自体はしないと思うけれど,でも,彼女の愛の本気の顕れだったのだと思うと,責める気持ちにはなれない.
彼女はその罪を告白しないことで,ずっとそれを引き受けて生きていたが,子供ができた時,彼女は変わろうと思ったのだと思う.彼女の役割は,蒔野だけの名脇役ではなくて,娘にとっての名脇役にもならなくてはならなくなったから.

そういう,彼女自身が選び取って,たとえ衝動であっても,選び取った決断の責任をとっていく,という生き方は,洋子と同様に,やはり尊いものに思えるのだ.


面白いのは,洋子が,夫となり後に浮気されて離婚するリチャードからは,冷たいと非難され,映画監督である父親からは,やさしすぎて背負いすぎないように心配される,ということ.どちらも,同じ洋子なのだ.


正直,読んでいる間,苦しい気持ちにもなった.
蒔野や洋子に感情移入するのは勿論,振られてしまうリチャードや三谷(は一応振られてないのか)にも,自分の欠片を見てしまうから.その時愛している人,自分が運命の人だと思っている人にとって,運命の人は自分ではない,ということは,起こり得ることだ.その,かなしさややりきれなさ.最早10代ではない登場人物たちは,それぞれに色々なものを抱えて生きているのだ.


小説で触れられている音楽が,クラシックギター曲が多く,私の好みだったことも大きいかもしれないが,丁寧に描かれた素敵な小説だと思う.今を生きるアラフォーの人々に.




PR

comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]