
2008 Herbst -
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知合いから借りて,『1Q84』を読んだ.
旅行中に本をきちんと読むのは珍しいことなのだけれど,スペイン旅行の行きの道すがらに読んだ.
これは,本当に力作だ.
小説家と,身体を専門に扱うスポーツインストラクター.
マラソンを続ける村上春樹自身の確実な二人の投影.
そしてあからさまな,オウム事件へのリファレンス.
物語,というもののもつ力への,願いのようなもの.
宮崎駿の『もののけ姫』にも感じたような,徹底的に直球勝負の作品なんだと思う.
数学,予備校,高円寺.
ここではもう,主人公たちは,生あたたかに喪失を温めていたりはしない.
鼠が,その弱さが好きなんだ,君と飲むビールや,...いやわからないな,
と言ったような,最後の最後での,逆転的な強さや誠実さではなくて,
彼らは自分で生を選びとり,毎日岩にピックを穿って生きている.
慢性的な無力感は,人を蝕み損なう.
ところで,青豆が魅力的だと言っている人を見かけるのだけれど,そうだろうか?
私には,青豆はさほど魅力的には映らない.
勿論特殊技能を持っていることや,徹底的な自己鍛練は素晴らしいと思うのだけれど.
更に言えば,天吾くんもさして魅力的ではない.
彼らは,物語に連れて行ってくれるための案内役でこそあれ,
私が心惹かれるのは,その世界のあり様,深田やふかえりの存在の仕方,そういうものだ.
むしろ,リトルピープルや,空気さなぎ,深田そのものの方がよほど魅力的だと思う.
ただ,それらに対するための力としての,小説,そして鍛えられた身体が,主人公たちなのだと思う.
誰かを強く求めるということ.
本当に愛する人がいさえすれば,それが本当の世界なのだ.
それは,たとえば私が,親友や別れた恋人たちに思うような,
生きていてくれさえすればいい.いてくれさえすればいい.
というようなことと似ているのだろうか.
彼の作品は,ディテール抜きにしては語れなくて,
細部が緻密に作られていることこそが,物語に力を持たせている,
ということは間違いないと思うけれど,
分析のようなものたちが,常にディテールに終始してしまいがちなのは,勿体ないことだと思う.
核心に関しては,直接的な言葉で語ることはできないのかもしれない.
言葉の光をあてた瞬間に,それはひからびた別のものになっているのかもしれない.
それでも,それをやってみたいとも思うのだけれど....
Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Traumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.
ある朝ベッドで夢から目覚めて,グレゴール・ザムザは自分が大きな虫になっていることに気がついた.
カフカは,1883年プラハに生まれたドイツ語で執筆するユダヤ人.変身は29歳の時の作品.
なんとなく,この虫は甲虫(カブトムシ)のようなものだと勝手に思い込んでいたけれど,百足のようなものだったらしい.イメージとして,足の本数が多くなるほど,意志の疎通が取りにくいように見える気がする.
大きな虫になるということ.その設定の突飛さがこの作品の強い魅力ではあるのだけれど,読み終えた後に,勿論それは何かの比喩表現なのだと思い当たる.突然に不可抗力で起こる変化.それは,誰にでも,いつでも,起こり得る.
本人は虫になった変化自体について疑問をはさんだりしない.即座にするのは仕事と家族の心配だ.家族は不思議なくらい,彼をもともとグレゴールだった存在として受け入れる.見かけや機能,味覚が変化するのは突然だけれど,彼自身の中でも家族の中でも彼が本当に虫になるのはだんだんとだ.互いへの興味,心配り.人間が人間であるのは,仕事で表わされるような社会における有用さや,周囲の人間からの反映に依ってなのである.
音楽にこんなに感動するなんて,ぼくは獣なんだろうか.
グレゴールが死ぬきっかけになるのは,人間だった頃に愛し,心の拠所でもあった,大切な妹のバイオリンだった.
明るい語り口でたんたんと語られるのは,絶望ではないけれど,一つの事実であって,いや,事実の一つであって,夢や希望のようなものではない.
アリジゴクの巣を懸命に這い上がろうとする.砂の女.
『柔らかい月』 イタロ・カルヴィーノ
このスケールや視点の振れ幅が好きだ
『おはん』 宇野千代
『ねじまき鳥クロニクル』 村上春樹
『構造と感性 1,2』 川口衛
『パサージュ論』 ヴァルター・ベンヤミン
鉄骨造の部分のみ.興味深い文章のコレクト.
読みたい本
『ふらんす物語』 永井荷風