
2008 Herbst -
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好きな人がいて,久しぶりに会ったら,恋人に振られていた.
その人との関係を縮めない言い訳なら沢山あって,
年齢差,遠距離,将来像が交わらない,子供を多分産めない,...
その内の大きな一つ,相手に恋人がいる,が外れた.
他の条件は,簡単には外れない.今踏み出さないなら,永遠に踏み出せない.
うまくいく見込みがあった訳では全然ないけれど,
今踏み出さなかったら,きっと
踏み出さなかった自分を少し好きじゃなくなるだろうな,と思った.
だから,踏み出してみた.
結果は予想通り玉砕.まあ,そうだよね.
これからもよい先輩でいてください,という言葉に,
ああ,自分は先輩だったんだなあ,私は友達だと思っていたのに.って,当たり前だよね.
彼が同輩といる時の自然な笑顔が,あまりにも素敵で,
ああ,こういう笑顔は,私といる時には見られないなあ,
と気付いたら,シンプルに,だめなんだな,と思った.
勿論残念だけれど,しょんぼりもするけれど,でも玉砕してみてよかった.
自分だけのタイミングで相手には迷惑だったかもしれないけれど,
勇気を出した自分を,嫌いにならずにいられてよかった.
玉砕したからって,好きじゃなくなる訳じゃないけれど,
可能性のなさを突きつけられれば,諦めもつくというか.
失恋するのもなんだか久しぶり.
少し清々した気もする.
自分は一人で生きていくんだなあ.
そういうのが向いているとも思えないのに,何かがずれているんだろうか.
でも,大丈夫.私は一人だって生きていける.
上手に,器用に,はできないかもしれないけれど,
自分の為に,少しわがままに,やりたいように,生きていくのだ.
お酒を飲むと,不安になる.
最近は酒量を控えているので,頻度は高くないけれど.
お酒に某かの箍を外す作用があるのだとすれば,
自分の内側に自分の敵,自分を不安にさせるような何か,がいるということなのだろう.
それはまだ意識されていないものなのかもしれない.
まずは,生理的な解決方法として,トリプトファンの摂取か.
不安になる要素なんて全然ない.
今あるものをしっかり固めながら,次の一歩を確実に踏み出すだけ.
晴れ晴れと気持ちよく一週間を過ごせる.
そういう日が来るんだろうか.
相手のことを大事にする関係と,
相手を自分の都合に合わせて振り回す,相手を軽く扱う関係.
例えば少しでも長く誰かと一緒にいたくて,
でもその人は忙しくて早く帰りたいと思っているとして,
そこで自分の気持ちを抑えて,お開きにするのが,
相手を大事にする関係なのだろうか.
次にいつ会えるかわからない時に,
折角会えたら少しでも長く一緒にいて,少しでも相手のことを知りたい,
と思ってしまうのは,自然な気持ちだとも思うけれど,
多分,それでも相手のことを考えられる方が,結局は次につながるのかもしれない.
誰かを好きだと思い,誰かのことを知りたいと思うことと,
その人にいいことをしたい,幸せにいて欲しいと思うことと,
その人に自分を好きになってもらいたい,と思うことと,
その気持ちが自己承認欲求に過ぎないのではないかという危惧と.
誰かと一緒にいたい,という気持ちと,
一緒にいない間にかっこよくなっていたい,という気持ちと.
自分が傷つかない為に,行動することに臆病になることと,
相手の迷惑を考えて行動しないことを選択すること.
個人的な傾向として,
自分が傷つくかもしれないという恐怖に打ち勝って無謀になることは
実はそれ程難しくはない.
でもそれは多分,自分を大切にする,ということとはきっと違う.
相手との関係を大切にする,ということともきっと違う.
多分,自分ができることを自分の側で積み重ねて,
自分の思う形で自分の魅力を高め,
一方で,いつか,相手の迷惑にならない形で,行動する勇気を出すこと.
承前.
相手のことで頭をいっぱいにするよりも,
自分のことを充実させて,自分を魅力的に育てていく方が,
結局は,もしかしたら,の可能性は拡がるのだ,
ということは頭ではわかっている.
そして,もしかしたら,がだめだと確定しても,
自分にとっては糧になるのだということも.
それに,相手のことを見つめすぎてしまうよりも,
一緒に並んで前を見たい,かっこいい,この人といたいと思って欲しい,
というのも,本心なんだ.
相手を振り回すことは,結局相手に振り回されることと同じ.
自分の中に自分の中心を取り戻すことを考えた方がいい.
依存心は,愛されたいという気持ち,だと言う.
しばしば親からの愛情不足に理由を帰着させがちだけれど,
少なくとも私に関しては,それは当てはまらないように思う.
(勿論ずっと先に,実は親の愛情のあり方が間違っていると考え直すこともあり得る.)
母が最近話していたこと.
彼女はずっと自分のことが大好きで,
それなりの年齢になった人生のある場面で,苦しい時期が長く続いて初めて,
自分の中の醜さに気づき,
自分をそれ程好きでいられなくなってしまった,自信を失ってしまった,と.
今は自分のことが好きでいられている人も,ある時そうでなくなる瞬間が来るかもしれない.
寧ろそこからこそ,人生の戦いのようなものは始まるのかもしれない.
親の育て方によって,予め,自尊心を持って生きられるかどうかが決まってしまうなんて,
私にはどうも信じたくない仮説に思える.
そんなのを押し付けられる親もかわいそうだ.
どうやったって正解なんてわからないんだから,
常に強烈な不安を抱えて子育てすることになってしまうだろう.
ある程度大人になってしまったら自分の人生を変えられない,
なんていうのも絶望的な仮説に思える.
勿論,ひどい虐待を受けて育った人の気持ちは想像しきれないし,
親に愛されて育った人の奢りだと言われれば,そうかもしれないけれど.
誰だって,自分を愛するという課題に向き合うことがあり得る.
相手を支配することで自分の価値を確認するのではなくて,
誰も見ていない真っ暗なところで,自分ひとりで笑えるようになること.
敬愛する友人Yは,30歳になった時に,
自分ひとりで愉しめるようになろうと思ったと言っていた.
私はそれより随分気づくのが遅いけれど,遅すぎることもないだろう.
ネット上で見つけた言葉.
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相手に直接ぶつかる勇気を持たず,いくら相手の「情報」を集めたところで相手の心に触れることは出来ない.相手の「動向」を知って相手を「知った気になっている」だけ.そしてそれは結局のところ「相手にぶつかって拒絶され傷つきたくない自分」を守っているだけ.
相手と向き合うためには,「自立心」を培うことが必要.
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自立心を培う為には,地道に,自分がなりたい自分に少しずつ近づいていくしかない.
何かを掴む.それができた自分を褒めて認める.そしてまた頑張る.
私は気が短くて移り気で,
何かができた時に,自分のできたことを褒める,という過程をスキップしてしまいがちだ.
そうしているといつも,できていない所ばかり見ていることになってしまう.
何かができた時に,それを認め,味わう練習.
今回の恋心はたとえ実らなかったとしても,
実は失われるものはそれ程ないのかもしれない.
自分の中の支配への傾向,まだ解決されていない依存心,について
考えるきっかけになったのはよいことだろう.
あー言葉が滑ってしまいそう.
「愛するとは,半分の確率で食べられてしまうこと」ではない,
それでも友情とは違う,愛すること,があり得るだろうか.
インターネットなんて,人の暗部に簡単に巣くうドラッグで,中毒になる,
没入することは快楽で,でも正気でいたい気持ちもある.
そういう誘惑の傍で,それを気にせずにいられるようになれるだろうか.
好きな人がいることは,楽しい.
世界のあちこちにその人の欠片を感じたりして,
それまで見えなかったものが見えてきたりするから.
相手を好きになったのも,なによりも,
その人が,面白くて,真面目で,一生懸命で,眩しく思えたから.
自分と似ている所がある気がして安心する,ということもあったけど.
相手の良さを感知できるということは,そこにアンテナが張られているからで,
それが同じ方向であれ反対方向であれ,
関心の方向が似ているということなのかもしれないと思う.
望むらくは,相手がしてくれることの為じゃなく,
その人がその人らしく歩んでいるから,それがきれいだと思うから,
近くで見ていたい,一緒にいたい,
その気持ちだけを抱えていられますように.
あぁ,やっぱり滑ってしまった.
BGM は illion BANKAのリピート.
自分の怠け癖が,一番自分を損なっている.
けれど,枠に嵌められるのは,例え嵌めたのが自分であっても,嫌だ.
我慢する快感.達成感.
誰も努力の成果なんて評価してくれなくて,
それでも歩き続けること.
怠け癖を,システム化しすぎずに少しずつ改善していく,
そしてそのことを自分で評価していく,そういう癖を.
そうしたらきっと,自分をもっと信じられる.
そうしたらきっと,もっと一人で立てる.
仕事でも誰かが言う言葉を受け流せるようになれる.
自分との約束を守る.
自分に対して,敬意を払う.
自分がなりたい自分であるかのように振る舞う.
自分は少なからず,ストーカー気質,或いは粘着気質である.
恥を忍んで,しかし詳らかにする方が自分の為と思うので書くが,
昔好きだった人や今気になる人をネット検索したりすることがある.
その程度みんなやっているが言わない,のかもしれないし,
みんな忙しくてそんなことはしていないのかもしれない.わからない.
他人に迷惑をかけない範囲なら,相手に知られなければ,
なかったかのように振る舞うことができる.
しかし,事実は自分が知っている.自分からは逃れられない.
自分の面倒くささ,粘着質は,多分どこかで嫌いじゃないと思ってもいるが,
同時にやはり,気持ち悪いとも思っている.
相手に知られたら,相手が自分をよく知らない人なのだったら,
やっぱり嫌われても,気持ち悪いと思われても,引かれても,
仕方ないと思っている.
自分が同じことをされたらどうだろう.
勿論相手にも依るが,相手の気持ちが理解できるだけに,少し嬉しい気もしそうだ.
多分,どこかで,自分に似た,こういう自分のままで受け入れてくれる人を求めている.
しかしそれは結局,共依存への道,なのかもしれない.
共依存は経験がある.お互いに切り刻んで血みどろになってしまう.
どうしたら,共依存から逃れられるのだろう.
最初の一歩は,被支配の立場から自分の足で逃げ出すことだった.
ずっと長いこと,無気力で無感覚になってしまう程,
自分が全ていけないんだ,と思い込んでいて,
相手からの言動が全て自分を責める神の言葉のように聞こえて,
びくびくして,どう生きていいかわからず,自分を見失っていた.
当然のように,誰も好きになれなかった.
長いことそういう穴倉の中にいて,ある時やっと,
自分が本当に委縮していて,被支配の立場に立ってしまっていることに気が付いたのだった.
あ,モラルハラスメントの被害者と同じメンタリティだ,と.
それは相手がモラルハラスメントの加害者であるかどうかとは関係なく.
そこから少しずつ自分を取り戻していって,
少しずつ自分の生活を積み上げていくことを練習して,
少しずつ自分を大事にすることを練習して,
そうしてようやく,好きな人ができた.
あぁ,久しぶりに,本当に久しぶりに,
ちょっと素敵だな,いいな,よりもう少し,好きになっちゃいそうだなと.
でもそうしたら,その人のことをもっともっと知りたくなってしまって,
相手の言動や状況から客観的に考えたら可能性は極めて薄いのに,
例えば今ですら,可能性はない,と書けない位に,
もしかしたら,が欲しくなってしまって.
それでも,格好はつけたくて,大人ぶりたくて,
傷つきたくなくて,現実を見たくなくて,
未来にあるかもしれない,小さなもしかしたらの芽を取っておきたくて,
幾らでもみつかる言い訳を並べては,自分から行動はしない.
相手に恋人がいる,年が違う,住んでいる場所が遠い,
将来の業界が近い,相手が面倒に思う,エトセトラ,エトセトラ.
自分から行動しないのは自分の勝手だが,
妄想で相手と無関係に気持ちが先走ってしまって,
実際に相手と面と向かわずに,裏で執着してしまう.
そういうことは,もしかしたら,
相手を支配したい,という気持ちと関係しているのかもしれない.
多分,ここに次の一歩がある.
被支配側からの脱却の次は,支配側からの脱却.
続く