
2008 Herbst -
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世界の秩序は,名詞の秩序ではなく,形容詞の秩序なのである.
ガストン・バシュラール
前置詞の秩序,日本語で言うならば助詞の秩序,だったら,面白いかも.
0902-0904
ヴェネチアへ.暖かな街.美味しい街.でも暮らせない街.
壁画を描く.
日本の職人さんの真髄.極端なやり方で仕事をする日本人.
0907
Iくんとデッサウへ.バウハウスデッサウ.10万人の町.
0909
ハケシャマルクトで素敵なカフェを発見.Mさんと.
初めてベルリンでお洒落な人々を見て,とても安心する.
0911
ベルリンフィルハーモニー.サイモンラトル.ワグナーのトリスタンとイゾルデ.メシアンのトゥランガリーア交響曲.
都市的な贅沢.建物と,音楽と.楽器としての建物.
0912
Yの家に行って,iTunesセットアップ.お昼ごはんを御馳走になる.外国の部屋を見るが,ここは普通だ.
夜10時半,アパートにて火事.そういえば,ベルリンの建物には消防侵入口がない.事後に見ても,窓ガラスが割られていない.
何を持って出るのか.うさぎとラップトップ.携帯電話.何も持って出ない自分.現実感がないということ.
街歩き.美味しいベトナム料理.
生活ということ.たとえば週末にどこにも行かなければ,すこし勿体ない気もしてしまうけれど,それが生活ということ.いいもの以外は,見なくてもいい.ユダヤ博物館,オランダ大使館はよかった.
誰かと話をするのが,少しく面倒だ.でも,誰とも話さないのも少しさびしい.
何せ,ここは寒い.9月の頭で,みながコートを着ている.
雨は結構降るが,すぐに止む.変わりやすい天気.
空が広い.北極星がはっきりと,頭上高くに光る.
ベルリンに来て,ひと月になった.
進化というのが,特殊な状況に適応して特化していくことだとすれば,
日本人は,よくもわるくも,文化的にとても進化しているのだと思う.
それは例えば,国際社会での日本人のひ弱さ,押しの弱さという形で現れたり,
或いは,他の文化に接した時に感じる野蛮さ,粗雑さ,という形で現れたりする.
私は,日本の洗練された(進化した)文化が,本当に大好きだ.
一方で,そこからくる閉塞感も十分に知っている.
誰も自分を知らない場所では,初めから顔を作っていかなければならない.
そんな訳で,自分の立ち位置がうまく定められずにいる.
そして,少し周囲の環境に対して否定的になったりしてしまう.
自分はあんな風ではありたくない,という風に.
自分がどういう人間なのか,を,内側から決めること.
どうしたって,私の身体の要請から,選べないことたちはたくさんあるのだ.
夜に起きているのはやっぱり好きだし,変えられない.
何かする時に,ものをたくさん食べてしまうのも,
文章を書かずにいると,上滑りしてしまう気がするのも,
美味しい珈琲がどうしても必要なのも.
どうしても整理整頓が苦手なのも.
他人に迷惑をかけないようにしようと思ってしまうのも.
そこそこ真面目な人が好きだ.
何かを決めつけない人が好きだ.
動物はある程度以上はかわいいとは思えない.
自由や洗練の響きが好きだ.
手書きで日記を書くのと,モニタで日記を書くのは違う.
さらに,ただパソコンで日記を書くのと,ネットで日記を書くのも違う.
誰かに見せたいということではなくて,
それなりに読みやすい文章を書くように意識できるという意味で,
結局,ネットの日記を必要としているのかもしれない.
誰かに見せるためなら,発信するということを主眼にするなら,
例えば外国での生活がどんなものかとか,
写真を撮ったりしながら,書き綴れば,いいのだ.
でも,そんなことは,私にとって大した意味を持っていない.
既に見てしまったものをスクラップする作業は,
他人や,あるいは将来の自分にとっては意味があるのだが,
私が必要としている文章を綴るという作業は,
もっと呼吸に近く,流れているもので,振り返るものではないのだ.
さらに,それをネットで書く必要があるということは,
それによって思考を整理したいと思うということは,
それは,独り言ではあるのだが,会話的なものなんだろう.
実際に会話をしてしまうと,それは,
私の思考のスピードよりもはやすぎて,うまく話すことができない.
だから,つねに私は自分の大きすぎる声が嫌いだ.
つまり,私の思考のスピードが,ちょうどこのネット日記のスピードに近い,
或いは,あまりに長いこと(もう7年ほど,欠かさずに),それに依って思考してきた為に,
そのようになってしまった,ということなのかもしれない.
そういう訳で,私はここに,ネット日記を再開する.