
2008 Herbst -
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冬は寒い
ヨーロッパの冬は寒いと言われているから
これからもっと寒くなるんだろう
ましてや,ロシアの冬などいかばかりなんだろうか
けれど,寒いのは悪いことじゃない
ルームメイトの笑い声なんかは気になるけれど
明るくて寒い部屋にいるのは,悪いことじゃない
勿論,雑誌を通じてTが私に答える必要なんてない訳だけれど
もしK先生が書いているような,
数学者の仕事はどんなものかってことしか書いていないんだとすれば
ねえ,あなたにとって数学ってなあに
という質問の答えでは全くない
彼が書いていたとされることは,既にもう何年も前に彼は知っていたことだし
あなたにとって大切なことは,そんなことじゃないでしょう?と思う
でもまあ,公に書けることなんて,随分前にわかった,確かなこと,くらいなのかもしれない
私は,私の生を運営していくことができる気もするのだけれど
どうしても何かが欠けていて失われていっているような感覚を拭うことができない
それはもう,6年も経った今でも
それは,彼との間にあった出来事によって失われたのだけれど
彼と何かをすることで取り戻せるものではないのかもしれないと思っている
ましてや,それは私の問題であって,彼の問題ではないのだから
彼を付合わせるのは,迷惑な話なんだろう
取り戻すことができるのは私だけだ,という気もするが
そもそも取り戻すことができることなのかどうかもわからない
その為に,どこから動き出せばいいのかも
でも,少なくとも,Kとの関係をおしまいにしようと決めたことは
正しいことのような気がする
いつまでもずるずるとしている訳にはいかないのだ
雑誌の記事は,まだ手に入れていない.
去年の夏に,一般誌に何か書きたいと言っていたことが,
こんなにも早く形になっていて驚きである.
しかも,Bと同時にだなんて,なんて面白い縁なんだろう.
あの二人は,今は仲良くしているんだろうか.
K先生からBに話が行って,Tにも話をまわした,とかそういうことなんだろうか.
だとしたら,BはTに連絡をとるようになったということか.
とか,私には関係のない話である.
Bがいつか言っていた通り,彼は他の誰よりも,少なくとも当時周りにいた誰よりも,
Tのそばを離れない方法を獲得している.それも,時間をかけて.
例えば,公共のメディアを使って自分にあてられた手紙である,と思ったりすることは,できない.
一瞬,自分が意味のない存在に思えたりもするけれど,
それは違うのだと思いなおす.
自分が意味のない存在である,と思うことは,多分,かなりの恐怖なんだと思うのだが,
最近ようやく,意味のない存在,というカテゴリーが存在しないのだということを得心するようになった.
意味のない存在なんてない,誰にも意味があるんだ,ということではない.
意味があるとかないとか,決める存在自体がなくて,
全方位に動ける船を,自分自身で舵を取って操っていくしかない,
生きるというのは,ただそれだけのことである,ということだ.
確かにさびしいし,未だに関わることのできる何人かの知合いを羨んだりもする.
でも,本質的に羨ましい訳ではない,ということも確かだ.
例えば今彼らと話をすることがあっても,
かつてのような魂の震えがあるとは,思えないから.
それは,私の人生にとって,過ぎてしまったものであり,
少なくとも多分当分の間は,二度と戻ってこないものだ.
私が失われたのではなくて,
彼らが失われたのだろう.
それは傲慢な話ではなくて,単純なありようである.
ひさしぶりに,ねじまき鳥クロニクルを読んでいた.
K先生とTとBが記事を書いていた.
(それでも,本当に私にとって意味をもつのは,Tだけだ.)
記事のことで,久しぶりに気持ちを乱されていた.
そして,唐突に,気がついたこと.
Kとは長く一緒にいるべきではないのだな,ということ.
そんなこと,最初からわかりきっていたのかもしれない.
私は彼が好きだけれど,それは「結構好き」というのが最も的確であるような仕方で,
宿命的な何か,とは違う.
ずっと,それでも,それは新しい宿命のあり方なのかもしれない,
長く続けることによって,蓄積によってしか生まれない何かが見えるのかもしれない,
と,前向きに考えてきた.
でも,それは自分に対して,どこかうしろめたいような,言い訳めいたやり方だった.
ということを,今日やっと,認められるようになった.
少なくとも,日本にいる間は,そうして長く続けるということを試みることもできただろう.
けれど,今となっては,私が(少なくともすぐに)日本に帰ることも,彼がヨーロッパに来ることも,
殆ど可能性のある未来とは思えない.
とても残念なことに,私は彼を愛していない,のだ.
ということがわかったなら,彼と一緒にいることを続けることは,嘘を憑き続けることになってしまう.
特にこちらでは,恋人がいるという形式は意味をもつし,
それでなくとも,世界のどこかに自分を個として特別に思ってくれる人がいる,と思えることは
私の気持ちの拠所になってくれた.
しかし,それによって,自分は,なにかにひきとめられてしまっている.
いわゆる世間とか,まっとうな生き方とか,そういう範疇に.
私自身は,少しずつ,損なわれて行ってしまうような気がする.
鈍くなって行ってしまう気がする.
安全綱を切って,もう一度ひとりで,歩きだしてみるべきなんだと思う.
ここには誰もいない.本当のひとり.
もうすぐ出会って3年になる.
あの頃,少しずつ最悪の時期を超えて,世間と接触する練習をしていた時期だった.
最悪の時期には,やっぱりひとりだったけれど,
周囲の流れが強すぎて,自分では何も見えていなかった.
ただただ,毎日がつらく,一歩歩くごとに死にたい死にたいと呟いていた.
それから,少しずつ,他人と接触するようになって,世間向けの顔もできてきて,
瘡蓋を少しずつ形成していた時期.
沢山の人たちに,人並み,にまで,引き上げてもらったのだ.
今は,もう少し,歩ける気がする.
彼を,かわいらしいと思うし,尊敬もするし,彼と何かを作るのは好きだ.
でも,このもどかしさ,うまく話せない感じ,は,いかんともしがたい.
そんなことは,どうだっていいのかもしれなくても,
自分の中に確信が持てない以上,私はそれをあきらめるしかないのだ.
おしまいにしよう.
今までありがとう.
最後の旅行で,きちんと言えるだろうか.
ここのところ,おひさしぶりなあの,根拠のない不安がいる.
どうせ,月経時期だとか,そんな理由なんだろうけれど.
頭が膨張するような感じがあって,胸が痛い
今日はものがばらばらになる夢を見た.
ピンセットとか,他はよくわからなかったけれど,
金属でできたものが沢山ばらばらになっていた.
木の実がくるくると回って落ちる様の面白さは
どのように表現したらいいんだろう.
今日もTの夢を見た.
内容は忘れてしまったけれど.
今は,これが,なんらかの回復の途上なのだろうと思う.
白い頭蓋骨に指をあてて痛みを解放するのと同じように,
自分がしまいこんでしまったもの,閉ざしてしまったものを,
ゆっくりとひとつひとつ解き放っていく作業なのだろう.
現実を,なんとか生きなくては.
気分がなんだか塞ぎこんでいてよろしくない.