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歩いてきた道

2008 Herbst -

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建物に感じる憧憬についてのメモ書き


ヨーロッパの鉄道ターミナルに感じる憧憬は
行きどまりの感覚は勿論なのであるが,
それを最早作ることができないことからも来るのだろうか
空港は,あまりにも身近すぎて,粗が目に付いてしまう

或いは,鉄道ターミナルのプログラム及び構造は往々にしてあまりにも単純であるために,
理解できたという感覚を持ちやすいからなのだろうか

カテドラルもまた今となっては作ることのできない類であるが
カテドラルにはあまり憧憬を覚えないのは
カテドラルの構造をイマイチ理解しきれていないからなのだろうか

ミュンヘンのオリンピックスタジアムを始め,
フライオットー氏の作品は,特別好きではなかったのだけれど
訪れてみて好きになるというのは
そこに含まれたであろう(真偽の程は知らねども)物語を読取ることができるからだろうか



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上からと下から

来年の1月末に短いレクチャーをすることを自分から申し出る.
なんでもやってみた方がいいのだ.
今までやってきたことをネタに,日本の構造設計のあり方,或いは,構造設計者がなにを実際にしているのか,を話そうかと思っている.


物事を見る見方は,上,或いは全体から見る見方と,下あるいは部分を集めてみる見方とあるように思われる.
構造というのはどうも前者に親和性があるように思っていたのだが,
精確に言うと,力学,力の流れが,全体の系としての思考に親和性が高いということなんだろう.
それに比べて,例えば施工方法というのは,明らかに集積の方法であり,後者の考え方に親和する.
構造というのが,力学・解析と工法・施工の両方の側面を持つとするなら,工法・施工の面を力学的に補強していくような考え方,というのはありうるのだろうか.

全体計画を中心とした都市計画が破綻しているように,今は個が集まって全体を織りなす時代だと思う.ニコニコ動画が広場を設けて,個別主義になりすぎずに社会を作り出す方向へと動き出しているように,あまりにもばらばらではない,けれど同じものが積み重なっているのでもない,個の集積の仕方,が考えられたら,面白いのじゃないかと思う.
似ている,或いは,原理は同じだけれど,異なるヴァリエーションたちの集まり.林のような.


魔法をかける仕事

ねじまき鳥を読み終える.


加納クレタの身体の痛みのことを考える.
多分,私は,鈍感な身体と鈍感な感性を,言い換えれば,健康な身体と健康な感性を,生来持っていて,
だから少しばかり世界をリアルに感じられない.
だから必死になって戦場に身を置こうとするのだろう.

多分,私は守っているのではなくて,本来そこに住んでいるものなのだ.
今,私は,誰に対しても申し訳なさを感じる必要はないのだ.
誰もがそれぞれの場所に生まれついているというだけのこと.

世界がどうこうというよりも,もっと個人的なことに興味があるのは,
多分その所為なんだと思う.


私は再び,世界を魔法にかけようとしている.
多分,それが私の生きることなんだろうと思う.
私はたぶん,巫女や魔法使いの類なのだ.
巫女は空間から言葉を取り出す.
神と呼びたければ呼んでもいい.
でもそれは他者ではなくて,何かしら天啓的なものだ.



すごく淋しいなと思う.
でもそれは,悪くない.
少し開けた肌寒い林に,一人きりで立っているような感じ.



吉報

久方ぶりにTに連絡をとってみたら
なんと結婚していた.
驚いたけれど,なんだかとても嬉しい.
内臓がほくほくするくらいに.
嬉しいことが不思議だ.

私はこれからまた一人になろうというのに
何がそんなに嬉しいというんだろう.
またひとつ,解放されたと思えるから?
私にとっては,結婚しようとしまいと同じことだというのに.


でも,嬉しいことは,否定できない事実だ.


本来的に,友達というのは,
生きていてくれるだけで意味のあるものだ.

私も,自分の生をまた一つずつ生きなくては,ね.


戦わずに生きられるようになりたい,と言っていた彼が
少しずつそれに近づいているように,
一生戦いながら生きたい,と言う私は,
きっとそれに近づけるのだと思う.
私は,私の核を,格を,絶対に手放さない.

夢を描くことは,それを半分達成すること.




箱の中から出てきた手紙

隣の部屋からは,何かのラジオが流れていて,ルームメイトの笑い声が聞こえているのだけど
電気を消して,蝋燭の灯りと全天放射だけにして,
コンスタンコチョリスを聴きながら,本を読んでいる.

こういった静かな心持になるのは,久方ぶりだ.


窓のある部屋が好きだ
窓にカーテンをかけないのが好きだ



実家から届いた荷物を開けたら
二つ目の箱から,2001年のメールを印刷したものが出てきた.
私は今や,昔のメールを持っていないから,読むことができないはずのものたち.

単純な愛情のやりとり.
考えるような大したことじゃなかったんじゃないか.
ただ私のこだわりが,物事を大きく見せてしまっているだけなんじゃないか.


私の根源的な良さ.
頭がいいこと,音楽が好きなこと,礼儀正しいこと

臆病だと言いながら守っている場所.
ふるまいの規則.箍.

今となっては,解決されてしまった事たち.
気にならなくなったというのは,解決の一種なんだろう.
私は,私のままで,社会にいられることを,今はもう,知っている.
そして,今の私には,どうしても認められたい他者がいない.多分.
誰かが誰かを認めるやり方にも,双方によって色とりどりだということも知っている.
全ての関係は固有だ.

ものごとが本当にわかるには,時間がかかる.


種を撒かなくては.





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