
2008 Herbst -
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1848年に起きた労働者たちによる革命は,フランスで起き第二共和政,後にナポレオン3世による第二帝政を導いたが,ドイツやオーストリアにも飛び火した.ナポレオン・ボナパルトの敗戦の後,1815年よりウィーン体制(会議は踊る,されど進まず)によってヨーロッパの秩序は維持されていたが,その中核を担っていたのが宰相メッテルニヒであった.しかし,民衆の要望に宮廷が応え,メッテルニヒを更迭する.宮廷は強権的な彼を快く思っていなかった.しかし,実際の問題を把握している人間がいなかったため,権力の空白が起こる.また,民衆は,要求すれば通ると考えて,さらにデモを行うようになる.憲法制定議会の開催を要求していたのに対し,宮廷は勝手に憲法を制定し,大きな反対にあう.オーストリア帝国は衰弱していった.さらに,1853年,ロシアVSオスマン帝国のクリミア戦争の際,バルカンに於けるロシア勢力拡大を恐れたオーストリアはオスマン帝国を支持.ロシアとの関係を悪化させる.ロシアの後ろ盾を失ったオーストリアは,幾つかの戦争に敗北し,自らが盟主であったドイツ連邦/ドイツ同盟(Deutscher Bund)に終止符を打った.プロイセン王国が北ドイツ連邦を成立させ,後のドイツ帝国の母体となる. さて,オーストリア帝国の力が弱まると,オーストリア内の非ドイツ民族(ドイツ民族は24%)の力が強まってくる.ドイツ民族の支配を維持するため,1867年,マジャール人(ハンガリー人)と友好を結び(アウグスライヒ),国をオーストリアとハンガリーの二つに分け,支配を固めた.これを,オーストリア=ハンガリー帝国という.しかし,民族運動は活発になる一方だった.(しかし,独立は望んでいなかった.というのも,ドイツ帝国とロシア帝国に挟まれた地域であるため.) 他国が民族による統一を図ろうとする中,オーストリアは多民族共生路線を打ち出さざるを得なかった.オスマン帝国による包囲戦に備えた城壁を取り壊し,リングシュトラーセ(現在)を建設.その周囲に文化的公共建造物を建てる.1873年には,万国博覧会もひらかれる.人口が流入し,郊外に集合住宅が建設される.また,皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(妻はシシィ)は,ユダヤ人に対し寛大な姿勢を示し,各種制限撤廃を敢行する.さらにユダヤ人流入(他所では迫害されていた).ウィーンのリベラルな時代(1861-1895)が花開き,コスモポリスとなる.1840年には40万人だったウィーンの人口は1860年には80万人,1890年には130万人,1905年には187万人. 今も敬愛されるシシィ(エリーザベト皇后)は,極めて語学に堪能な長身痩身美貌の女性で,ギリシャ語,ラテン語,古典英語,古典ドイツ語を操った.がんじがらめの宮廷を嫌い,ハンガリーを旅行し,愛した.反ハプスブルグ的マジャール人の心をも動かすほどの,ハンガリー語も使えたという.自由を愛し,貧しい民衆に同情するような側面もあったが,自己中心的で尊大な一面もあった. 息子のルドルフ皇太子は1889年自殺(?).彼女も1898年,ジュネーブ,レマン湖畔にて,殺害される.皇帝の失意は深く,次に皇位継承者とした甥のフランツ・フェルディナントも1914年サラエヴォにて暗殺された(サラエヴォ事件)時,それを看過することはできなかった.WWIの勃発である. ウィーン.そもそも,ヨーロッパから見たアジアの入り口.また,ゲルマン系,スラヴ系,マジャール系,ラテン系の人種の接点.
Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Traumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.
ある朝ベッドで夢から目覚めて,グレゴール・ザムザは自分が大きな虫になっていることに気がついた.
カフカは,1883年プラハに生まれたドイツ語で執筆するユダヤ人.変身は29歳の時の作品.
なんとなく,この虫は甲虫(カブトムシ)のようなものだと勝手に思い込んでいたけれど,百足のようなものだったらしい.イメージとして,足の本数が多くなるほど,意志の疎通が取りにくいように見える気がする.
大きな虫になるということ.その設定の突飛さがこの作品の強い魅力ではあるのだけれど,読み終えた後に,勿論それは何かの比喩表現なのだと思い当たる.突然に不可抗力で起こる変化.それは,誰にでも,いつでも,起こり得る.
本人は虫になった変化自体について疑問をはさんだりしない.即座にするのは仕事と家族の心配だ.家族は不思議なくらい,彼をもともとグレゴールだった存在として受け入れる.見かけや機能,味覚が変化するのは突然だけれど,彼自身の中でも家族の中でも彼が本当に虫になるのはだんだんとだ.互いへの興味,心配り.人間が人間であるのは,仕事で表わされるような社会における有用さや,周囲の人間からの反映に依ってなのである.
音楽にこんなに感動するなんて,ぼくは獣なんだろうか.
グレゴールが死ぬきっかけになるのは,人間だった頃に愛し,心の拠所でもあった,大切な妹のバイオリンだった.
明るい語り口でたんたんと語られるのは,絶望ではないけれど,一つの事実であって,いや,事実の一つであって,夢や希望のようなものではない.
アリジゴクの巣を懸命に這い上がろうとする.砂の女.
J-POPよりも,洋楽の方がかっこいいと思っていた.J-POPの中でも,売れ筋のものよりも,ちょっとインディーズっぽいものとか,せめて歌唱力のある,とされている人たちの曲がかっこいいと思っていた.いや,B’zとかも好きだったけれど.アイドルなんて,ジャニーズなんて,ましてやジャニーズの曲なんて,聴く機会もないと思っていた.でも.使い古された言い回しの中に,真実があることに,やっと気づくように,ジャニーズのJ-POPの,シンプルな歌詞の中にも,力をくれるものはある.それが,ださくても.そういう風に結果的に思わせて,支持地盤を広げられているのだから,嵐は頑張っているんだと思うし,はめられたこちらも嬉しい.
こうやって,箍がはずれていくのは面白い.自分についた魍魎,自分で自分にかけた縛りを,ひとつずつ解いていく作業.生まれた時には何もなかった筈の縛りを,いちいち一度作ってまた解くのは,遠回りみたいにも見えるけれど,その縛りがどんなものなのかを知らない人間に魅力を感じないから,これでいいのだと思う.どんなことも,今のこのひどい有様だって,いつかは糧になる.
がんばれ,なんて言葉は,身体に気をつけて,みたいに,こんにちは,みたいに,殆ど意味がないみたいに思えるけれど,それは,時々,意味をもつんだ.難しいことじゃない.
明日は後ろにない.
だとか,
まずは自分でやってみるしかない.
だとか,
見る前に跳べ.
だとか,
わかってるけどそれができれば世話ないぜ,と言う気持ちもわかるし,そう言うのは簡単なんだけど,
でもきっと,現実はそこにある.
怠けそうになった時には,自分の周りの奴を見てみるといい.
何をすればいいかがわかるはずだから.
落ち込んだ時に支えてくれたのは,芸能人の人たちでした.
かなり売れている人たちしか目に入らない.
基本的には彼らの仕事の部分しか見られない訳ですが,
ものすごく仕事をしている.
この人たちは何を考えて,どうやって,こんなにも仕事をしているんだろう,と.
勿論私が選択した幾人かの芸能人は,ということなんでしょうが
総じて,仕事に対してやたらと真面目でストイックに見えました.
結局自分はこういうものに憧れているんだなと.
格好悪いから,と,アイドル好きを否定したって始まらない.
そこからちょっとでもプラスを掴み取ってやる.
きっと,あなたは今の私を見て懐かしんでいたりするでしょう.
今の私よりももう少し生きる術を心得ていたりして,
あの頃は不器用だったなあと思っていたりするでしょう.
こうして一歩一歩積み上げているその道が,あなたへ繋がっている.
発熱だけあって,咳や喉の痛み,鼻水がない症状の風邪は初めてである.
関節の痛み,頭痛,そしてなにより吐き気と胃痛.
昨日の夜は一晩中吐き続けていた.今晩はずっと下痢である.
昨日は38.8度の熱があったので,解熱剤とビオフェルミンと胃薬を飲んだ.
明日はカレーパーティーの予定だったが,とりやめにしてもらった.残念だけど.
『パロマー』 イタロ・カルヴィーノ
形式美と,知恵への孤独な探究.