
2008 Herbst -
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百合の花を一輪買った.
部屋にも人生にもコクのようなものがあった方がいいように思われたので.
百合はひとつでも十分な存在感で,しかも茎が立体的で絵になる.
フランクフルトは夜中にも飛行機が飛ぶ.
部屋の窓を横切るのは,いつも飛び立つ飛行機ばかりだ.
少し不安感がある.
村上春樹のマラソンについての本を借りた.
彼の文章を読むと,文章を書きたくなる.
新刊が出たらしいけれど,文庫になったら入手しよう.
沢山しゃべらなくとも,ひとつひとつの言葉に心をかよわせて話せる人になりたい.
今使っている財布は,随分前,たぶん2001年に新宿の丸井で買ったものだ.
少し痛んでいるけれど,今だにとても気に入っている.
島崎藤村『破戒』を読んだ.
夏目漱石に比べて,文章自体が読みづらい.しかもやたらとまだるっこしい.今の自分は,異邦人だけれど,それは隠しようもないことなので,彼のテーマが共感できなかったのかもしれない.しかし,破るかどうか問題となる戒めが,単なる父親の言葉だったとは...もっと強大に無意識のような部分まで刷り込まれている戒めがいくつかあって,それを破るかどうかの冒険であれば,今もなお息づくことができたろうに.
漂泊したような感覚.
オーストリアに行った時にはそれが付き纏っていた.
毎日が旅の途中のような.
こちらに来てからは,その感覚ががらりと変わっている.
この場所に住もうとしている.
自分の嫌いでない家具を揃え,部屋をそこそこ整頓し,料理をなるべく作る.
旅をすることと住まうことの違い.
1年後や2年後にここから去ろうとしているなら,ものをなるべく増やさないように努力してしまう.
ここに住もうという意識なら,住まいをそれなりに快適にしようとする.
けれど,実は本当は大きな違いはないはずなのだ.
50年は2年をたった25回繰り返すだけで経ってしまう.
旅をしながら一生を暮すことと,生活をしながら一生を暮すこととは,連続した事象だ.
漂泊しながら生きる,というスタイルに憧れがある.
今までそれを実践しようとしてきた.
今のこの定住スタイルみたいなものは,だから新鮮ではある.
多分,生れて初めて,自分の人生を自分の手で彫り込んでいくような感覚.
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鬱,という言葉は,実態がよくわからないけれど,
言うなれば軽く鬱状態なのだと思う.
やる気が出てこない.
旅行に行くのも楽しみでない.
というか,自分が心の底から楽しんでいる状態がイメージできない.
いや,新しいことをわかったり,できるようになったり,感じたりするのは楽しい.
しかし,今の生活だと,本を読むくらいしか,そういうことが起こるイメージができない.
いや,料理だって,昔よりはできるようになっているのにな.
日々楽しんで生きていきたい.
楽しけりゃいいじゃん,という時にイメージされる浅薄なものではなくて,
ああ,愉しいなあ,としみじみと言えるような.
折角一人で,浮ついた言葉を吐く必要がないんだ.
今がそれを体得するいい時期のはず.
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丹田式呼吸法.
昔少しだけヨガに行った時に,ちらっと教えてもらった.
それをできるようになろう.
あと,弓道もやってみよう.
本当に生きることができる可能性に比べたら,かかるリスクやコストはそう高いものではないはず.
真剣に,優雅に,仕事をしたい.
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勤勉,温雅,聡明であれ.
例えば,松任谷由美が血反吐を吐くような思いで曲作りをしてきたということ.
そしてそれを見せようとはしない姿勢.
あのポップなメロディを作りだすということの偉大さ.
こういった先人たちの言葉や努力を,若い頃よりもずっと身に沁みて感じる.
若い人にそういうことをどうやって説明できるのだろう.
みんな苦労して生きている.
その苦労から逃げた人間に,生きていることを実感する資格なんてない.
(ザクイズショウ)
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黒ものと白ものを混ぜて洗濯してグレーになってしまった白い服を漂白する.
一様にグレーになってくれていたので賭けだったけれど,
囚人服のようで着るたびに気が滅入っていたので,思いきって.
服は傷んだけれど,そこそこ成功して嬉しい.
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演技してなんぼでしょ.
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健康診断を真面目に受けようとしている.
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どうしても仕事をする気が起きない.
それを,自分の実力を認められていない所為にしたがるけれど,
認められるには,成果を出さなければならない.
そんなことはわかっているのに.
料理をすることに逃避している.
仕事関係の話をしている時,眉間に縦に2本しわが寄っているのを自覚する.
みんななんだか笑いながら鷹揚な感じで打合せを進めていくんだけれど,
ドイツ語の時は,少しでも単語を聞きとって何を話されているのか想像しようと必死だし,
英語だってそれはそんなには変わらない.
そういう言語の壁に加えて.
なんといっても,彼らは考えずに会話しているのだ.
考えればどこに問題があるかわかるだろうのに(それともわからないのか?)
それをせずに,どうでもいい問題にばかりつっこんで行こうとする.
これは,コンペの時と同じ傾向である.
例:
前回のケーブル構造では,
明らかにすさまじい反力が来るであろうことが予想される場所があるのに,
そこでない場所の基礎について,環境破壊がどうとか話している.
そうじゃなくて,問題はこっちでしょ?と示唆すると,
そうだねー,じゃー,基礎を地上まであげて,屋外ベンチみたいにしようかー,とか話している.
まず,どのくらいの大きさが必要なのかも抑えてないのに,ベンチの形考えてどうするのかな?
ヨーロッパでは,全体の設計に対して,基本設計に対する敬意が低いと思う.
設計料の割り振りを見てもそうだし,
あとで変えればいいよねー,という雰囲気が漂いまくっている.
今まで携わった幾つかのプロジェクトの経過を見ると,
それが原因で,プロジェクト全体が右往左往して,チーム全体が苦労し,
結果としていい大抵時間切れで方向には行かない.
それは最初にきちんと方向性を決めて,筋を崩さない,ということができていないから.
無駄な労力.
自分一人が打合せの間に,何が大事なのかを必死で考えるから,
自然と眉間に皺が寄る.
一人で感じの悪い人みたいになる.
それはそれで,打合せをいい方向にもっていけないだろう.
どうしたらいいんだろう.