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歩いてきた道

2008 Herbst -

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君が代のはなし

埼玉県知事上田清司さんが「教員は生徒の規範たるべきなのだから,国歌はうたうべきだ」「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と発言した件.

そもそも,10年前に,国旗と国歌が法律で制定されていたことを今まで知らなかった.しかも,文部科学省の告示で,入学式や卒業式には国歌を歌うように指導すること,と書かれているらしい.さらに,校長先生から教員にたいして職務命令があったりすることもあるらしい.

その事実に対してもびっくりなんだけれど,さらに驚いたのは,その発言に対する(正確には発言に対して共産党が訂正を求めた姿勢に対して)ネット上の反応の様子.

国歌も歌えないような人間は,愛国心が足りないので,教師などやるべきではないし,むしろ日本から出ていってくれ.

という論調がとても多くて.それはどうなんだろうか.国歌の好き嫌いと愛国心は別の話だし,愛国心のない教師がいてはいけないとは限らない.まして,日本国民であれば日本を愛さなければならない,なんて,あり得ない.しかも,それが当たり前の風潮が漂っている.正直,こわい.いつの間にそんなにみんな,国歌だとか国旗に馴染んでいたの?

私は日本自体は大好きだ.でも,国旗も国歌も他人がやっている分には気にしないけれど,自分では自主的に規律に従ってはやりたくないもの.入学式でも卒業式でも,歌ったことがない.でも,時々一人で自転車に乗りながら歌ったりする.
まあでも,公務員で規則が決まっていて,しかも一応子供にルールを守りましょう,と言わなければならない立場に自分から就職しているなら,教員は外面だけでもルールは守るべきだろう.でも,好きになる義務なんて,どこにもないはずだ.

さらに,そんな問題含みなことはみんなが知っているような歌を,そもそもなんで国から強制されて入学式だの卒業式に歌わなくちゃならないのか,さっぱりわからない.日本を好きになるのに,国旗も国歌も全然必要ない.その告示を出す行為自体が,思想的に偏っているんではないだろうか.国歌を教育の現場で強制的に歌わせるというのは,別に大半の国がやっているという訳でもないらしいし.

そもそも,国という概念も,それを表す国旗も国歌も,他の国があってこそのものだ.愛国心なんて,そんなに大切なのか?私は本当に日本が好きだし,反日のつもりは全くないんだけれど,でも日本という国の概念に捉われることに,あまり意味が見いだせない.日本なんていう枠組みや名前がなくても,日本の良さは,存在しうる,かどうかはわからないけれど,でも,その概念の為に沢山の人が死んだりするのは,なんだか古臭い感じがするんだ.


それにしても,同じ敗戦国のドイツでは,そこらじゅうに国と州の旗がひらめいている.
そして日本とは違って,徹底的に第二次世界大戦の時のことを反省すべき歴史として子供に教え込むし,博物館もありすぎるほど建てる.
この違いは両方とも多分,同じメンタリティーから来ている気がする.


因みに,自分では,別に左寄りなつもりは全然ないのだけれど,ある種のひとから見たら,左寄りに見えるんだろうか.




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天使の眼

希望の物語を,誰かに伝えたいと思うときに,
時にそれは強すぎて受け取られず,
時にそれは微弱すぎて届きさえしない
時にそれは全くの見当違いの空回り

それでも,何かをしたいと思うのは,
きっと思いあがりだし
多分本当は,希望の歌を聴きたいだけなんだ



誤解されることが怖くなくなっていって
裸になるのが怖くなくなっていって


世界がひび割れて灰色に見えるとしても
自分の場所から,色を塗っていくことを続けなくてはと思うのは
色を塗る人に,出会いたいから
色を塗るよりも,色を塗っているのを観るのが好きなんだ

或いは,私の眼が,天使のように
モノクロームであるだけなのかもしれなくて

互いの褒め言葉

言われたい褒められ言葉ってなんだろう


男前ですね
健気ですね
実はかわいいんですね
鋭いですね
高貴で理想主義ですね
怖いですね


今度異性の友人と,お互いの褒め言葉を当て合うのも面白いかもしれない.


いつもの週末

ここでは,ぴーかんに晴れていたかと思うと,急に空が曇って,大雨が降ったり,稲光ったり,する

今日は夏至.
これからは昼が短くなっていく.


この週末は,買いものに行く以外には一歩も外に出なかった.
週末は,料理をして洗濯と片付けをして,少しく本を読んだりして,過ごす.

来週は,一週間限定で,朝起きをしてみようと思っている.


明日から,ここ7年で初めて健康診断に行く.
やっぱり少し不安ではある.



死亡フラグ,とか,恋愛フラグ,といった概念は,面白いな,と思う.
観る者も作る者も共通の理解,前提とされているもののことである.
現実にもフラグがたてば簡単なのだけれど,そうは行かない.
でも,フラグが立ったかのように振舞うことは,できて,
それを,フラグが立ったかのように振舞っている,ということを共有できる間柄であれば,
それは成立する.

そういう,型,の力にドライブされる人生も,悪くないんじゃないか,と思うわけで.
全ては想像の産物なんだから,ヒロイックになったりするのも,悪くない.




恥の感覚

傷つかないようにすることくらい,うまくなる.

心配したり,相談したり,したい気もするけれど,
どうやって相談したらいいのかもよくわからなくて.
誰に相談したらいいのかもよくわからなくて.
結局決めるのは自分で,自分の気持ちがはっきりしていない限り誰にもどうにもできない,
のはとてもよくわかっていて
そう思うと,もう,誰に何を話していいのかわからない.
けれどきっと,話せばはっきりしてくることもあるのかもしれない,とも思うのだけれど.

相談するなら,きっと,異性がいい.
同性に相談してしまうと,きっと強がってしまうから.
でも,今は,そういった面倒なことを,相談できる異性の友人がいない.


まあ,放っておけばいい,のかもしれないんだけど.


取敢えず置いておいて,仕事に邁進,か.



裸で町を歩くことに,あまり抵抗がない.
勿論騒ぎを起こしたいということはないので,やらないんだけれど.
裸なんて,見られたって大したことない.

でもきっと,そうやって明らかにしてしまうことは,
何かを失っているんだろうなと思う.
それは自分を損なっていることなんだろうか.

裸は,見られることよりも,見ることが恥ずかしい.
正確に言えば,見ていることを知られるのが恥ずかしい.

自分にもまだ「恥」の感覚があることのほうが驚きだ.

Wiesbadenの露天風呂に行って思ったこと.



仕事に誇りを持って生きること.
それを単純にやっているのは,素敵なことだな,と思う.



結婚にせよ付き合うということにせよ
自分から動くのは今はやめて,待ち,である.




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