
2008 Herbst -
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個人的に,震災の後の一番の変化は,政治のことを考えることを当たり前とか義務だとより素直に考えるようになったことだと思う.若い頃はどことなく,政治や国のことを話している人たちが,まるで実感なく机上のことを話しているように見えて,馴染めなかった.けれど,そういう眼を瞑る行為は,子供の特権だ.
とは言っても相変わらず,色んなことに懐疑的で,常識というものを常識として持たず,そもそも国ってなに,法律ってなに,人って殺しちゃいけないの,というようなことを簡単には判断できない性格である.一つ一つのことを考えるのに時間がかかるし,更に近しい他人の影響も受けやすい.何事も,少しずつ,である.
何故か最近,今頃になって,友人や知り合いから,人づきあいの仕方についてなにやかやと言われることがある.昔に比べれば随分丸くなったと思うし,インターフェイスだってとげとげではないと思うのだけど,それとは別に,集団の中の立ち位置とか何を話すかとかについて,他人ほど真剣に考えていないからなのかもしれない.
ある友人は,そんなことは高校生の時に学ぶべきことだよ,と言うけれど,私は高校時代に周囲に殆ど興味がなかったので(馬鹿にしていたとかですらない.興味がなかったのだ.),また,私のいた環境はそれを許すものだったので,幸か不幸か今のような自分である.
しかし,楽しくないのに楽しいふりをして友達とクレープを食べに行く,ようなことをしていた人生じゃなくて,よかったと思っている.そういうのは,なんだか自分に誠実じゃない気がするから.
勿論,自分なりの礼儀のラインやルールはあって,それは他人より緩いとも思わないけれど,他人に合わせて作ったものでもない.
自分が納得できる振舞をできるだけすること,そしてその結果生じたことは引受けるということ,それだけのことだ.
私自身は他人の人づきあいの仕方にどうこう言いたくなることは仕事外ではあまりないので,他人に何か言いたくなる人の気分がよくわからない.けれど,例えば不快だったりしているのだろうから,自分としてはどちらでもいいと思っている範囲では,でっぱりを曲げて生きていければなと思う.
兎に角,なるべく話さないでいる人でありたいと思ったりしている.
正直,ずっとそう思っている気がするので,いつかそうなれるのかもしれない.
そして,話さないということが,考えない,ということにならないように注意したい.
ところで,旅行中にうった頭がまだ痛い.
なにもないといいけれどな.
締切が続いたりして,言葉を書くのを疎かにしてしまっていた.
今も暇になった訳ではないけれど,言葉を書かずにいるのは何となくよろしくない気がするので書いてみる.
3月から7月にあった大きなことをまとめると,
フィンランドで白夜を見た
初めての仕事(NV)の締切があった
ちょっといいなと思っていた人がやめていった
くらいか.
フィンランドの白夜は長いことの夢だったので,達成感が大きい.
湖の異常なまでの透明感.
一人きりで湖で泳ぐことの感覚.水の音.
そして,いつまでも明るい夜.
心の中の静かな湖.いつでも帰って行ける場所.
トレッキング道を馬に乗っていったのもとても楽しかった.
同時に,同行した友人に色々と叱られた.
コミュニケーションの取り方や神経の配り方など.
一緒にいる人をいやな気分にさせてしまうのは悲しい.
彼女とはあまり仲良くなれないようなので,
距離をもう一段階離して付き合うように途中から変更.
色々考えてくれてありがたいなって思っているのに
うまく伝えられなくて,残念でもある.
仕事の締切.
結局最後まで手探りだったけど,よくがんばった.
異常に仕事をたくさんして,仕事をしすぎないようにと注意を受けるけど,
同時に色々と認めてもらえるようになって嬉しい.
まだこれが最後ではないから,引き続きプロジェクトを愛していきたい.
次の仕事もがんばろう.
同僚がやめてパリへ行った.
結構仲良くなれてきていたので,とても残念.
賢くて話していて面白くて,気になっていたのにな.
(実際9年付き合っている彼女がパリにいて,彼女とも知合ってしまったりしたので,
そういう意味では色々難しくなってしまっていたのではあるけれど.)
仕事場に行くモティベーションが少し下がるけど,それはそれ.
でもまあ,二度と一生会わない訳でもないだろう,と思うのと同時に,
もう二度と会わないかもな,とも思う.
またすぐにね,と言って別れるのは,嫌いじゃない.
ヘルシンキでばったり会って,なんだか苦笑だった.
ばったり会う,という程大きな街でもないから,
自分のいやらしさみたいなものに軽く辟易したりして.
大きくはそういうことだけど,
どこかである程度本当の言葉を紡いでいないと
本当の言葉を使えなくなってしまいそうだから,
リハビリのように,筋トレのように,また言葉を書いていこう.
今回の大震災に関して,高橋源一郎 の文章の力強さがすごかった.
正しさへの同調圧力に負けて正しいことをしてはいけない.
不正に抵抗するのは簡単だが,正しさに抵抗するのはとても難しいのだ.
自分が本当にしたいと思ったことがたまたま正しさに一致することもある
そういうあり方であるべきなんだ.
だから,募金をすることに抵抗がある人はしなくてもいいし,
被災した人たちに共感できなければ,しなくてもいいんだ.
自分(高橋源一郎)が今回少し多く募金をするのは,
今したくないかもしれない学生たちの分も含めてなんだ.
そういうところに,共同体の意味があるんだ.
そういう文章だった.
とても,とても,よくわかる.
私が募金をした時に,
少なからず,自分の年齢のことを考えたように思う.
社会に対する責任のようなもの.
言葉には,やっぱり力がある.
友達の中には,不安の中に生きている人もいれば,案外あっけらかんとしている(ように見える)人もいる.
或いは,世の中のままならなさに,怒っている人もいる.
一様に私が思うのは,少し疲れているということ.
外にいてしまった私は,できうるならば,力のある言葉を贈れたらいいのに.
未曾有の,1000年に1度の大震災が,3月11日,14:46,東日本を襲いました.
福島の原子力発電所にも問題が起きて,
被災地のみなさんは勿論,地震による直接の被害はそれほどなかった東京でも,
今も, 沢山の人たちが,私の家族や友達が,不安の中で生きています.
今,海外にいる私は,何をしたらいいのか.
ずっと考えています.
生れてはじめて,募金をしました.
一万円という金額が,大きいのか小さいのか,よくわかりません.
会社に募金箱を設置してみました.
とても居心地の悪い思いをしながら.
この居心地の悪さはなんだろう.
心配で,不安で,みんな無事でいて欲しくて,
これは,たぶん,今一番困っている東北の人たちのことを心配してるんじゃない.
私が直接知っている,東京が,家族や友達の安心が,失われるのが怖い.
私はその渦中にいない.
私と東京の,繋がりが薄れてしまうのが怖い.
まして,家族に万一のことがあったら,
私は,本当の本当に,世界で独りぼっちになってしまう.
それが,怖い.
誰かのことを,自分のこととしてとらえるというのは,こういうことなんだ.
私は,私の中にあるだけじゃなくて,
私の知っている人たちや町のなかにも含まれている.
その自分が,一部,失われてしまうということ.
自分から,切り離されてしまうということ.
募金をするのは,
自分の中の,募金活動をすることへの抵抗感をおしてまで,募金をお願いするのは,
その繋がりを保つため.
少しでも,痛みを共有するため.
結局は,自分のためだ.
だから,募金をお願いすることに,強く躊躇いを感じてしまうんだろう.
私は,みんなと一緒にいるよ,と言いつつも,
本当は東京が私を見捨てているのだ.
その事実を,こうやって露呈させているだけなんだ.
こうやって,どんどん根なし草になっていく.
同時に,スマトラの地震やハイチの津波で,
同じような痛みを感じることができなかった自分を
恥ずかしく思っている.
本当なら,同じように痛みを感じられなくてはならなかった.
ましてや私のような職業についているものなら.
家族を,友達を,東京を,思っている.
思っているけれど,これ以上のことをするのは正しくないような気もしている.
次に,世界のどこかで何かが起きた時に,同じように自分の何かを切り与えられないなら,
今何かをすべきではないように思う.
そして,世界全部は背負えないよ,とも思う.
いやいや,日本というバックグラウンドにとても助けられているじゃないか.
結局のところ日本人ということから逃れることなどできないのだから,
日本の為に,特別に,何かしたっていいんじゃないか,
それがおかえしというものなんではないか,
とも思う.
こんなことをくどくどと考えずに,
友達がやっている募金活動に,社交という側面を含めて,参加すればいいじゃないか,
そのことで失うものなんか何もないんじゃないか
やらぬ善よりやる偽善なんではないか,それで救われる人もいるんじゃないか,
頑張って募金活動をしている人にとって,
一人でも多くの人が味方についていることが勇気になるんじゃないか,
とも思う.
募金箱については,
募金はしたいけど少額だと面倒だし,どこに募金したらいいか調べるのも面倒だし
というスイスの人たちの親切心と,
今必要としている人たちの間を繋ぐ
という合理化をどうにか見つけて自分を辛うじて正当化している.
つくづく,自分が面倒くさい.
私は薄情だ.
そして,本当に自分で感じたことしか信じることができない.
私は,自分の仕事を必死にすることによって,
世界に貢献する,
という仕方で世界と繋がっていたい.
それが一番自然でしっくりくるやり方だ.
友人に会って話していたら,
こちらで妙に気が利く人は大抵ゲイだよ,と言われた.
私は身の回りでゲイの人を見たことが殆どないので,
全然見わけがつかない.
うんー,ない話じゃないかもなあ.
ある同僚に会う時にやたら嬉しそうだし.